二層式洗濯機だと思えば。
先日、故障した洗濯機について書きました。排水機能にエラーが出てしまい、でも洗濯機を台の上に置いて排水ホースに傾斜をつけたらとりあえず使えるようになった、と。
でもあのあとすぐにまたエラーが出てしまいました。やはり排水エラー。それに、台の上に置くと、洗濯物が回転したときとかに不安定になって違うエラーまで出てしまいました。
とりあえず台から下ろし、めげずにいろいろいじっていたら、一つ一つの動作ごとに分けて操作すれば使えることに気が付きました。
「洗い」のみ設定→終了
「すすぎ」設定→終了
「脱水」設定→終了
「乾燥」→終了
二層式の洗濯機だと思えば、乾燥まで出来るんだし問題ない・・!?
ところで、賢明な読者の諸君はもうお気づきだと思いますが、もうすでに転職とは全く関係のない内容となっております。御免ッ!
こんせぷと、のようなもの
このブログは、別に誰かに頼まれて書いている訳ではないのですが、ネット上に公開していますし、人の目に触れる以上は、やはり読む人が暗い気持ちになったり、不快に感じたりするようなものよりは、何か元気が出るとか、ひまつぶしにはなったとか、少しでもプラスになればいいかなと思って書いています。
他の方みたいに役に立つ情報とかはほとんどありません。ただ自分の体験や、感じたこと、思っていることなどを書いているだけです。
仕事は長続きしないことが多かったですし、日常でもあまりうまく行かないことがよくあるのですが、それでもまあ、それらを乗り越えて何とか楽しく前向きに生きています、みたいなことをお伝えできれば・・そう思って書くことが多いかなと思います。
もちろん、基本的には、興味がない人は読まないと思うし、つまらなければ途中で読むのをやめるでしょうから、そんな深く考えることも無いのかもしれないのですが・・。
変なものですね。わざわざ人の目に触れるこのような形ではなく、日記帳だとか、ワードとかで書いて保存すれば、誰にも気を使わず、書きたいことが書けるのに・・。でも、誰かが読むかもしれないと思うと、書きたい、書かなきゃっていう気になるのです。
その上で、それが他の誰かにとって少しでもプラスになったとしたら、やっぱり嬉しいですから、それを目標に今後も続けたいと思っています。
DO IT YOURSELF!
コロナが流行りだして、みんな家から出ないようになり、家で過ごす時間が長くなるのに伴って、ホームセンターの売り上げが上がったと聞きました。私も結構行きましたが、確かに今までより混んでいるな、という印象を受けたものです。この年末年始も、第3波は来るわ、寒波は来るわで、ホームセンターで何か買ってきておうちでDIYという方も多いのかもしれません。
私の場合は、コロナとはあまり関係無いのですが、いつ頃からか、できることは自分でやるようになりました。
経済的にゆとりが無いことが多かったので、できるだけ節約しようと、自然とそういう方向に進んでいったようです。
例えば、車のメンテナンスで言えば、運転は好きなのですが、車をいじったりすることにはほぼ興味が無かったので、何かあればカー用品店などにお任せしていたのです。
でも一度、「電圧が下がっているので、すぐにバッテリー交換しないとやばいですよ!」と言われ、たまたまその時お金があったこともあり、お願いしたのですが、純正品で高価だったし、後でネットでいろいろ調べたらそこまで緊急性のあることでもなかったみたいだったので、すごく悔しい思いをしたのです。
その後は、ネットでその半値くらいの、より性能の高いバッテリーを購入し、ネットの情報を見ながら自分で交換しています。タイヤも自分で交換するようになりました。ついでに車検の時も、代行業者に払う手数料が惜しいので、自分で陸運局に持って行って手続きしています。
屋根の雨漏りが治らなかったときは、プロの方に見に来てもらいましたが、ネックとなる箇所が特定できませんでした。屋根全体を修理となると、何百万もかかります。仕方が無いのでホームセンターででっかいゴムシートを買ってきて怪しいと思われる箇所に敷いたらとりあえずおさまっています。
直近で言えば、先日、洗濯機の排水ができない状態になってしまったので、排水口の掃除とかいろいろやってみたのですが治らず、お客様センターに問い合わせたら修理は年明けになるとのこと。申し込みはしたのですが、それまで日数があるので、何とかならないものかと、ホースを持ち上げてみたり洗濯機を傾けてみたりいろいろやってたら、とりあえず排水ホースに傾斜をつければ何とか排水できることが分かったので、台を敷いて少し高くして、応急処置ではありますが、何とか使えています。
もちろん専門性の高いものは無理ですが、ネットなどで情報はあふれているし、結構、自分でできることってあるもんだなって感じています。素人仕事なので、その後何か不具合が出てくる可能性はありますが、まあ自分でやったことだから仕方ないですよね。それは覚悟しています。
さあ、あなたも、自分の人生をDO IT YOURSELF!
私の場合は、コロナとはあまり関係無いのですが、いつ頃からか、できることは自分でやるようになりました。
経済的にゆとりが無いことが多かったので、できるだけ節約しようと、自然とそういう方向に進んでいったようです。
例えば、車のメンテナンスで言えば、運転は好きなのですが、車をいじったりすることにはほぼ興味が無かったので、何かあればカー用品店などにお任せしていたのです。
でも一度、「電圧が下がっているので、すぐにバッテリー交換しないとやばいですよ!」と言われ、たまたまその時お金があったこともあり、お願いしたのですが、純正品で高価だったし、後でネットでいろいろ調べたらそこまで緊急性のあることでもなかったみたいだったので、すごく悔しい思いをしたのです。
その後は、ネットでその半値くらいの、より性能の高いバッテリーを購入し、ネットの情報を見ながら自分で交換しています。タイヤも自分で交換するようになりました。ついでに車検の時も、代行業者に払う手数料が惜しいので、自分で陸運局に持って行って手続きしています。
屋根の雨漏りが治らなかったときは、プロの方に見に来てもらいましたが、ネックとなる箇所が特定できませんでした。屋根全体を修理となると、何百万もかかります。仕方が無いのでホームセンターででっかいゴムシートを買ってきて怪しいと思われる箇所に敷いたらとりあえずおさまっています。
直近で言えば、先日、洗濯機の排水ができない状態になってしまったので、排水口の掃除とかいろいろやってみたのですが治らず、お客様センターに問い合わせたら修理は年明けになるとのこと。申し込みはしたのですが、それまで日数があるので、何とかならないものかと、ホースを持ち上げてみたり洗濯機を傾けてみたりいろいろやってたら、とりあえず排水ホースに傾斜をつければ何とか排水できることが分かったので、台を敷いて少し高くして、応急処置ではありますが、何とか使えています。
もちろん専門性の高いものは無理ですが、ネットなどで情報はあふれているし、結構、自分でできることってあるもんだなって感じています。素人仕事なので、その後何か不具合が出てくる可能性はありますが、まあ自分でやったことだから仕方ないですよね。それは覚悟しています。
さあ、あなたも、自分の人生をDO IT YOURSELF!
とある橋のたもとにて
その時僕は、とある橋のたもとにいた。山口県岩国市、錦帯橋という歴史のある橋の周辺は観光地として栄えている。
観光には特に興味はなかったのだが、一人旅の寂しさなのか、人で賑わっているところへついつい引き寄せられてしまう。そして余計に孤独を感じたりする。
「自転車の旅かい。いいねえ」
おじさんが話しかけてきた。
「旅費とかは、どうしてるんだい?」
その自転車は、当時、ブリヂストンから発売されたばかりの、サイクリング車でありながら、ワンタッチで折りたたんで電車などでも運べる「グランテック」という車種だった。高校生で、家も貧しかったので、自転車屋のおじいさんにお願いして月々1万円の月賦にしてもらった。
その前の年、高校1年の夏は、「青春18きっぷ」を使って全国を放浪していたのだが、駅から自転車に乗れたらなと思っているところにそんな自転車が売られていたものだから、買う一択しかない。
「途中でアルバイトとかしながら・・はい」
旅の途中でアルバイトなんかしたことも無いくせに、僕はそう答えていた。
「良かったら、うちで働いて行かないか」
そのおじさんは、そこのすぐそばにある旅館のご主人だった。半月庵という、宇野千代の「おはん」という小説の舞台ともなった、こちらも由緒ある旅館だった。早速、次の日からそこでしばらく働かせてもらうこととなった。
そこではたくさんの仲居さんたちが働いていた。その中に混じって、僕は空き室の片づけ、布団の上げ下ろし、配膳、食器の片づけなど見よう見まねでやった。やることが無くなると、犬の散歩を頼まれたりした。家では猫しか飼ったことがなく、思った方向に犬が進んでくれないので苦労した。
あっという間に一週間ほど過ぎた。特にそんな必要も無かったのだが、とりあえず、また旅を再開することにし、ご主人にその旨を伝えた。出発することになったその前の夜、仕事が終わった後に一週間分のお給料を頂いた。それと一緒に、新品の運動靴ももらった。僕のそれまでの人生で、全く縁の無い、ナイキの高そうなスニーカーだった。その時僕が履いていたのは、底の薄っぺらい、安物の貧弱なデッキシューズだったのだ。
靴と、お給料を手にした僕は部屋へと戻った。この部屋も、空いていた一室をあてがってくれたのだ。賄いもなかなか豪華だった。この一週間、まさしく衣食住をお世話になったということになる。
お金の入った袋を開け、明細を見た。これだけお世話になったんだ。金額など、期待していない。
でも次の瞬間、僕は凍り付いていた。
いや、・・これは、いくらなんでも、安すぎる・・。
騙された、それが正直な思いだった。旅の途中で、ではないがアルバイトはやったことがあるから、期待しないとは言え大体の相場のイメージというものがある。
その夜まで泊まらせてもらい、次の朝、出発の予定だったのだが、僕はその場ですぐに荷物をまとめ、
「失礼します」
とだけ言って、その旅館を後にした。
暗がりの中、しばらく自転車を走らせ、ほとぼりが冷めたあたりの街灯の下で自転車を停めた。とりあえず、封筒のお金を財布に入れておこうと思ったのだ。
「あれ?」
封筒の中には、思いもよらないほどのお金が入っていた。先ほどの相場の話で言えば、はるかに多い金額だ。何のことはない、そそっかしい僕は、明細を見て勝手に勘違いして、ショックを受け飛び出してきてしまったのだ。
その場ですぐに踵を返し、僕は旅館へと戻った。厨房にはまだおかみさんと仲居さんたちが数人、残って休んでいた。
「あの、明細を見て少ないと思って勘違いして、・・あの、すみませんでした」
それだけ言うと、再び僕はそこを逃げるように飛び出した。しばらく経った後、せっかくもらったあのナイキのスニーカーを忘れてきてしまったことに気付いたが、もう戻る気にはなれなかった。
ご主人とおかみさんには、息子さんがいた。ご主人と出会ったその夜、たまたま彼にも出会った。ちょっと話すと、高校二年、同級生だと分かった。僕は彼に、誕生日を聞いてみた。彼が答えたその日は、僕の誕生日でもあった。
彼にそのことを言ったが、冗談だと思ったのか、それとも高校二年の夏休みに部活も受験勉強もせずこんなところで働こうとしている得体の知れない同級生にそれ以上、関心が無かったのか、話はそれ以上弾まなかった。
彼はがっちりとした体格をしていて、堂々としていた。もう忘れてしまったが、何かの運動部に入っていると言ってたように思う。
あれから30年以上の年月が流れ、僕は半月庵を今一度訪れたいと思いながら、まだその願いは叶っていない。単純に、今住んでいるところから遠すぎるのと、それだけの経済的余裕がずっと無かったからだ。
もしいつか行ける日が来たら、その時にはぜひ、あの時のお礼と、そしてお詫びをしたい。
あと、息子さんにも会いたい。彼は旅館の跡を継いだのだろうか。僕は彼に、もう一度確認したいのだ。
差し支えなければ、生年月日、お聞きしてもよろしいでしょうか、と。
観光には特に興味はなかったのだが、一人旅の寂しさなのか、人で賑わっているところへついつい引き寄せられてしまう。そして余計に孤独を感じたりする。
「自転車の旅かい。いいねえ」
おじさんが話しかけてきた。
「旅費とかは、どうしてるんだい?」
その自転車は、当時、ブリヂストンから発売されたばかりの、サイクリング車でありながら、ワンタッチで折りたたんで電車などでも運べる「グランテック」という車種だった。高校生で、家も貧しかったので、自転車屋のおじいさんにお願いして月々1万円の月賦にしてもらった。
その前の年、高校1年の夏は、「青春18きっぷ」を使って全国を放浪していたのだが、駅から自転車に乗れたらなと思っているところにそんな自転車が売られていたものだから、買う一択しかない。
「途中でアルバイトとかしながら・・はい」
旅の途中でアルバイトなんかしたことも無いくせに、僕はそう答えていた。
「良かったら、うちで働いて行かないか」
そのおじさんは、そこのすぐそばにある旅館のご主人だった。半月庵という、宇野千代の「おはん」という小説の舞台ともなった、こちらも由緒ある旅館だった。早速、次の日からそこでしばらく働かせてもらうこととなった。
そこではたくさんの仲居さんたちが働いていた。その中に混じって、僕は空き室の片づけ、布団の上げ下ろし、配膳、食器の片づけなど見よう見まねでやった。やることが無くなると、犬の散歩を頼まれたりした。家では猫しか飼ったことがなく、思った方向に犬が進んでくれないので苦労した。
あっという間に一週間ほど過ぎた。特にそんな必要も無かったのだが、とりあえず、また旅を再開することにし、ご主人にその旨を伝えた。出発することになったその前の夜、仕事が終わった後に一週間分のお給料を頂いた。それと一緒に、新品の運動靴ももらった。僕のそれまでの人生で、全く縁の無い、ナイキの高そうなスニーカーだった。その時僕が履いていたのは、底の薄っぺらい、安物の貧弱なデッキシューズだったのだ。
靴と、お給料を手にした僕は部屋へと戻った。この部屋も、空いていた一室をあてがってくれたのだ。賄いもなかなか豪華だった。この一週間、まさしく衣食住をお世話になったということになる。
お金の入った袋を開け、明細を見た。これだけお世話になったんだ。金額など、期待していない。
でも次の瞬間、僕は凍り付いていた。
いや、・・これは、いくらなんでも、安すぎる・・。
騙された、それが正直な思いだった。旅の途中で、ではないがアルバイトはやったことがあるから、期待しないとは言え大体の相場のイメージというものがある。
その夜まで泊まらせてもらい、次の朝、出発の予定だったのだが、僕はその場ですぐに荷物をまとめ、
「失礼します」
とだけ言って、その旅館を後にした。
暗がりの中、しばらく自転車を走らせ、ほとぼりが冷めたあたりの街灯の下で自転車を停めた。とりあえず、封筒のお金を財布に入れておこうと思ったのだ。
「あれ?」
封筒の中には、思いもよらないほどのお金が入っていた。先ほどの相場の話で言えば、はるかに多い金額だ。何のことはない、そそっかしい僕は、明細を見て勝手に勘違いして、ショックを受け飛び出してきてしまったのだ。
その場ですぐに踵を返し、僕は旅館へと戻った。厨房にはまだおかみさんと仲居さんたちが数人、残って休んでいた。
「あの、明細を見て少ないと思って勘違いして、・・あの、すみませんでした」
それだけ言うと、再び僕はそこを逃げるように飛び出した。しばらく経った後、せっかくもらったあのナイキのスニーカーを忘れてきてしまったことに気付いたが、もう戻る気にはなれなかった。
ご主人とおかみさんには、息子さんがいた。ご主人と出会ったその夜、たまたま彼にも出会った。ちょっと話すと、高校二年、同級生だと分かった。僕は彼に、誕生日を聞いてみた。彼が答えたその日は、僕の誕生日でもあった。
彼にそのことを言ったが、冗談だと思ったのか、それとも高校二年の夏休みに部活も受験勉強もせずこんなところで働こうとしている得体の知れない同級生にそれ以上、関心が無かったのか、話はそれ以上弾まなかった。
彼はがっちりとした体格をしていて、堂々としていた。もう忘れてしまったが、何かの運動部に入っていると言ってたように思う。
あれから30年以上の年月が流れ、僕は半月庵を今一度訪れたいと思いながら、まだその願いは叶っていない。単純に、今住んでいるところから遠すぎるのと、それだけの経済的余裕がずっと無かったからだ。
もしいつか行ける日が来たら、その時にはぜひ、あの時のお礼と、そしてお詫びをしたい。
あと、息子さんにも会いたい。彼は旅館の跡を継いだのだろうか。僕は彼に、もう一度確認したいのだ。
差し支えなければ、生年月日、お聞きしてもよろしいでしょうか、と。
単発のおしごと
以前、派遣会社に登録していた時、一日単位の単発のお仕事というのがあり、ダブルワークなどでいろんな仕事をやったのですが、今もそのようなお仕事はあるのでしょうか・・。私がやった仕事を思いつくまま書き出してみます。
・交通量調査
・立て看板持ち(分譲マンションの案内)
・スーパーでの着ぐるみ
・倉庫での衣類のピッキング
・パチンコ台の組み立て
・ペットボトル検品
・キムチの製造(白菜剥き)
・女子プロゴルフツアーでの雑用係
・試験監督
・高速のパーキングエリアでのアンケート調査
・ブライダル衣装展示会スタッフ
・ホテルのパーティーでの給仕係
・アイドルのコンサート会場の設営
・・キリが無いですね。要するに、なんでも屋さんです。
それらのお仕事は、メールで事前に応募して、依頼を受けた人がやる、という流れだったのですが、もっと昔は、工事現場での軽作業や、ゴルフ場の芝生の植え替えなど、仕事の内容もいわゆる「土方」的なものが多かったように思います。
メールで応募、なんてオシャレなものではなく、仕事が欲しい人たちが朝早くから事務所に集まり、スタッフの人が「〇〇さん、今日はここ行って」 「〇〇さんは、この仕事」みたいな感じで、その時に振り分けられるのです。集まっていた人も、オッサンやおじいさんが多かったですね。
その頃の話ですが、一つ印象に残っている仕事があります。
その朝も、そのように一人ひとりに仕事が振り当てられ、大体は数人単位のことが多いのですが、私は一人だけでした。
測量会社だか、何だかの社長さん?(自由が利くみたいだったので、たぶんそうだと思います)の車の助手席に乗って、高速で3時間くらいかけてその建設予定地か何かまで行ったのです。
昔のことなのでよく覚えていないのですが、現地に行っても特に仕事的なことは何もしませんでした。
お昼をごちそうしてもらい、また、3時間くらいかけて、引き返したのです。
5時までの契約だったと思うのですが、早く着いて、「少し早いけど、もう終わりでいいよ」とのことでした。
要するに、何の仕事もしていないのです。でも、日当もそんなに悪くありませんでした。
あれは何だったんだろう、と今でも思います。その社長さん?が、一人では退屈だから話し相手として誰か連れて行きたかったのか、でも、私は口下手だったし、その社長さんもおしゃべりという感じではなく、行きも帰りもほとんど話はしませんでした。
車の中ではラジオがかかっていたのですが、帰りの道中で、徳永英明の「壊れかけのRadio」が流れていたのが印象に残っています。
・交通量調査
・立て看板持ち(分譲マンションの案内)
・スーパーでの着ぐるみ
・倉庫での衣類のピッキング
・パチンコ台の組み立て
・ペットボトル検品
・キムチの製造(白菜剥き)
・女子プロゴルフツアーでの雑用係
・試験監督
・高速のパーキングエリアでのアンケート調査
・ブライダル衣装展示会スタッフ
・ホテルのパーティーでの給仕係
・アイドルのコンサート会場の設営
・・キリが無いですね。要するに、なんでも屋さんです。
それらのお仕事は、メールで事前に応募して、依頼を受けた人がやる、という流れだったのですが、もっと昔は、工事現場での軽作業や、ゴルフ場の芝生の植え替えなど、仕事の内容もいわゆる「土方」的なものが多かったように思います。
メールで応募、なんてオシャレなものではなく、仕事が欲しい人たちが朝早くから事務所に集まり、スタッフの人が「〇〇さん、今日はここ行って」 「〇〇さんは、この仕事」みたいな感じで、その時に振り分けられるのです。集まっていた人も、オッサンやおじいさんが多かったですね。
その頃の話ですが、一つ印象に残っている仕事があります。
その朝も、そのように一人ひとりに仕事が振り当てられ、大体は数人単位のことが多いのですが、私は一人だけでした。
測量会社だか、何だかの社長さん?(自由が利くみたいだったので、たぶんそうだと思います)の車の助手席に乗って、高速で3時間くらいかけてその建設予定地か何かまで行ったのです。
昔のことなのでよく覚えていないのですが、現地に行っても特に仕事的なことは何もしませんでした。
お昼をごちそうしてもらい、また、3時間くらいかけて、引き返したのです。
5時までの契約だったと思うのですが、早く着いて、「少し早いけど、もう終わりでいいよ」とのことでした。
要するに、何の仕事もしていないのです。でも、日当もそんなに悪くありませんでした。
あれは何だったんだろう、と今でも思います。その社長さん?が、一人では退屈だから話し相手として誰か連れて行きたかったのか、でも、私は口下手だったし、その社長さんもおしゃべりという感じではなく、行きも帰りもほとんど話はしませんでした。
車の中ではラジオがかかっていたのですが、帰りの道中で、徳永英明の「壊れかけのRadio」が流れていたのが印象に残っています。
あれは、本当に人だったのか・・!?
気が付けば、このブログも今回で100回目になるみたいです。
これまで何をやっても長続きしなかったのですが、今の仕事と、このブログは珍しく続いています。
今の会社に入ってしばらく経ってから、このブログは書き始めました。と言っても、書いても一か月に1回とか、数か月も書かずに放置とかしていたので、いつ辞めてもおかしくない状況だったと思います。
でも、そのように気まぐれで適当に更新していたのですが、必ず毎日アクセスしてくる人がいるのです。
一人とか、二人とかなのですが、更新した日なら間違って見てしまうのは分かるのですが、次の日以降だとたぶん探すのも大変だと思うのです。
ブックマークとかに登録しておいて、毎日、更新されていないかワクワクしながらチェックしているのだろうか?
もしそうなら、せっかくそうやって待っててくれるんだから、何か書いてみようかな、という気になったのです。
そして、書いているうちに面白くなってきて、どんどん書いてしまったのです。
でもある時、ふと思いました。
「あれは、本当に人だったのか・・!?それとも何か巡回ロボットみたいなのがただアクセスをしていただけなのではないか?」
だとすれば、ロボットだか何だかのために一所懸命、ブログを更新していたということになります。
まあでも仮にそうだとしても、そのおかげで楽しくブログを続けられたので、結果オーライってことで。
ん・・!?
このブログを読んでいるあなたは、「人」ですよね・・!?
本当に欲しいもの
自分にとって、今の仕事は合っているなと感じています。少なくとも、今までやってきたいろいろな仕事の中では、合っていると思います。なので、今も続いているのだと思います。
それなら、なんでもっと早くから今みたいな仕事を選ばなかったの?という声が聞こえてきそうです。自分でも、そう思います。
今いる会社でも、長く勤務している人は当然、そうでない人よりも給料がいいです。ボーナスとか退職金とか、時折聞こえてくる話に、うらやましく思うかぎりです。
また、そういう人は、周りにいるほとんどの人は後輩です。威張っていられるのです。
私は別に、人生においていろいろな経験を積もうと思って転職を繰り返してきたわけではありません。
その時その時で、自分なりに頑張ってみたけど、そうするしかないという結論になり、そうしてきただけの話です。
今のような業種も、今までは求人を見ていても、出ていたはずなのですが、なぜか目に入ってこなかったし、縁が無かったのですが、やってみたら結構合ってるかな、と。
早くから今の会社に入って、ずっとやって来れたら良かったのにな、と寂しい気持ちになることもあります。先日、同い年くらいの、でも私とは違ってベテランの、そんなに親しくも無い先輩に、
「本当に〇〇は馬鹿だよな~」
と真顔で言われました。ベテランのその人から見れば、考えられないような手順で私が作業をしてしまったようです。
それだけのことですが、結構落ち込みました。言われるようなことをしてしまった自分のせいなので、仕方ありません。
私もこの業界にある程度長く居れば、そんなミスをして馬鹿にされることも無かったのかもしれません。
転職を繰り返す中で、すべて一からのやり直しとなり、そのような惨めな思いをしたことも多かったですが、自分がもし、転職することもなく同じ会社で順調に今日まで来られたとしたら、そんな奴のことなんて同じように馬鹿にしていただけだったかもしれないと思います。
同じ会社に長く居る人がみんなそうだとは、もちろん思いません。長い人でも、親切な、優しい人はたくさんいます。私にそう言った先輩だって、別に悪気は無く、軽く言っただけで、本当はいい人かもしれません。でも、やはり傷つき、落ち込みました。最初の、「ホントに」の部分が、前々からずっと思ってたんだけど、という気持ちを含んでいるからです。そして、その人とは今後、できるだけ関わりたくない、と思ってしまいました。
私は若い頃、人の気持ちが分かりませんでした。というより、人に関心が無く、分かる必要がありませんでした。別に一人で生きて行けばよい、と。
でもいつからか、人の気持ちが分かる人間になりたいと思うようになりました。やっぱり、人は、一人では寂しいのです。少なくとも、私はそうでした。
でも、人と関係を持つには、その人の気持ちが分からないとそれができない。その人が嬉しく思うこと、傷つくこと、頭にくること、悩み、そういうのを、「や、自分には関係ないから」で終わってしまうようでは、その人とは永遠に他人でしかない。
人の気持ち、心の痛みが分からない自分が、人との関係を持ちたいと思えば、これまでのボロボロの転職人生は必要だったのかな、と思います。
安定した生活、地位、たっぷりの退職金、それらは本当にうらやましいですが、自分にとってはまず、これが必要だったのではないか、と。
今でもまだまだ人の気持ちを理解できないことも多い自分勝手な人間ですが、少なくとも若いころの自分を振り返ってみると、ちょっとは成長したかなと思います。
それなら、なんでもっと早くから今みたいな仕事を選ばなかったの?という声が聞こえてきそうです。自分でも、そう思います。
今いる会社でも、長く勤務している人は当然、そうでない人よりも給料がいいです。ボーナスとか退職金とか、時折聞こえてくる話に、うらやましく思うかぎりです。
また、そういう人は、周りにいるほとんどの人は後輩です。威張っていられるのです。
私は別に、人生においていろいろな経験を積もうと思って転職を繰り返してきたわけではありません。
その時その時で、自分なりに頑張ってみたけど、そうするしかないという結論になり、そうしてきただけの話です。
今のような業種も、今までは求人を見ていても、出ていたはずなのですが、なぜか目に入ってこなかったし、縁が無かったのですが、やってみたら結構合ってるかな、と。
早くから今の会社に入って、ずっとやって来れたら良かったのにな、と寂しい気持ちになることもあります。先日、同い年くらいの、でも私とは違ってベテランの、そんなに親しくも無い先輩に、
「本当に〇〇は馬鹿だよな~」
と真顔で言われました。ベテランのその人から見れば、考えられないような手順で私が作業をしてしまったようです。
それだけのことですが、結構落ち込みました。言われるようなことをしてしまった自分のせいなので、仕方ありません。
私もこの業界にある程度長く居れば、そんなミスをして馬鹿にされることも無かったのかもしれません。
転職を繰り返す中で、すべて一からのやり直しとなり、そのような惨めな思いをしたことも多かったですが、自分がもし、転職することもなく同じ会社で順調に今日まで来られたとしたら、そんな奴のことなんて同じように馬鹿にしていただけだったかもしれないと思います。
同じ会社に長く居る人がみんなそうだとは、もちろん思いません。長い人でも、親切な、優しい人はたくさんいます。私にそう言った先輩だって、別に悪気は無く、軽く言っただけで、本当はいい人かもしれません。でも、やはり傷つき、落ち込みました。最初の、「ホントに」の部分が、前々からずっと思ってたんだけど、という気持ちを含んでいるからです。そして、その人とは今後、できるだけ関わりたくない、と思ってしまいました。
私は若い頃、人の気持ちが分かりませんでした。というより、人に関心が無く、分かる必要がありませんでした。別に一人で生きて行けばよい、と。
でもいつからか、人の気持ちが分かる人間になりたいと思うようになりました。やっぱり、人は、一人では寂しいのです。少なくとも、私はそうでした。
でも、人と関係を持つには、その人の気持ちが分からないとそれができない。その人が嬉しく思うこと、傷つくこと、頭にくること、悩み、そういうのを、「や、自分には関係ないから」で終わってしまうようでは、その人とは永遠に他人でしかない。
人の気持ち、心の痛みが分からない自分が、人との関係を持ちたいと思えば、これまでのボロボロの転職人生は必要だったのかな、と思います。
安定した生活、地位、たっぷりの退職金、それらは本当にうらやましいですが、自分にとってはまず、これが必要だったのではないか、と。
今でもまだまだ人の気持ちを理解できないことも多い自分勝手な人間ですが、少なくとも若いころの自分を振り返ってみると、ちょっとは成長したかなと思います。
ちょっといい話?
自身の転職歴をここで書きながら、あまり良かった思い出が無いと思っていたのですが、ちょっと思い出したことがあります。
20代の前半の頃、飛び込み営業で数千円の食品を販売していたことがあります。
物自体は悪いものではなかったとは思うのですが、スーパーやなんかと比べるとやはり割高だったのではないかと思います。
でも私の成績はその頃は良かったのです。周りのメンバーと比べても、いつもいいほうでした。
私は、前にも書いたように、人とのコミュニケーションは得意ではなかったので、とにかくトークマニュアルを一言一句たがわず、それこそロボットのように繰り返していたのです。他のメンバーも、似たような感じでやっていたかもしれません。でもなぜか私が一番売れていました。
なんで、この人は買うんだろう、と思いつつ、売れる分には構わないので、深く考えることはありませんでした。
その仕事を辞め、数十年経ち、私も人の親になり、その理由が分かる気がします。
まあ、その頃も買ってくれたお客さんがたまに言ってたことではあるのですが、なんていうか、その若い口下手なセールスマンを、自分の子どもに重ねてしまうんでしょうね。
あるお客さんが言ってた言葉は今も覚えています。
「こうして今、あんたに良くしてあげることで、それが巡り巡って自分の子どもに返ってくるかも、なんて思うんだよね」
その時は、ふうん、そんな風に考えるんだ、くらいにしか思わなかったのですが、親元を離れ、どこか遠い街で暮らす子供を、どうしてるかな、と思いをはせている頃に、目の前で、必死で不器用なりに頑張っている若者に対して、無下に切り捨てることができなかったのかな、なんて思うのです。
と、言いつつ、今、飛び込み営業の若者が訪問してきても、断っちゃうかもな・・。
うーん、「ちょっといい話」で終われなかった・・。
20代の前半の頃、飛び込み営業で数千円の食品を販売していたことがあります。
物自体は悪いものではなかったとは思うのですが、スーパーやなんかと比べるとやはり割高だったのではないかと思います。
でも私の成績はその頃は良かったのです。周りのメンバーと比べても、いつもいいほうでした。
私は、前にも書いたように、人とのコミュニケーションは得意ではなかったので、とにかくトークマニュアルを一言一句たがわず、それこそロボットのように繰り返していたのです。他のメンバーも、似たような感じでやっていたかもしれません。でもなぜか私が一番売れていました。
なんで、この人は買うんだろう、と思いつつ、売れる分には構わないので、深く考えることはありませんでした。
その仕事を辞め、数十年経ち、私も人の親になり、その理由が分かる気がします。
まあ、その頃も買ってくれたお客さんがたまに言ってたことではあるのですが、なんていうか、その若い口下手なセールスマンを、自分の子どもに重ねてしまうんでしょうね。
あるお客さんが言ってた言葉は今も覚えています。
「こうして今、あんたに良くしてあげることで、それが巡り巡って自分の子どもに返ってくるかも、なんて思うんだよね」
その時は、ふうん、そんな風に考えるんだ、くらいにしか思わなかったのですが、親元を離れ、どこか遠い街で暮らす子供を、どうしてるかな、と思いをはせている頃に、目の前で、必死で不器用なりに頑張っている若者に対して、無下に切り捨てることができなかったのかな、なんて思うのです。
と、言いつつ、今、飛び込み営業の若者が訪問してきても、断っちゃうかもな・・。
うーん、「ちょっといい話」で終われなかった・・。
ガンガン書きます・・
少し前になりますが、運転しながら聴いていたラジオで、書道家の武田双雲さんがリモート出演している番組をやっていました。
その中で印象に残ったのは、武田双雲さんは、毎日の生活の中で、とにかく「感謝」を心がけているという話でした。
まあよく言われるありふれた話と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、何かの道で一流になる人って、とにかくなんでも徹底してとことんやるみたいですね。
「感謝」するのも、とにかく全てに対して感謝する。だから、ネガティブな感情になることがほとんど無いし、なったとしても、そのことにも「感謝」できてしまえば怖いものなしですね。
最後に言ってたのが、そのような意識で生活していると、不思議と、感謝できるような人や、環境が向こうから寄ってくる、とのことでした。だから別に、無理してそう意識しなくても、自然に感謝ですという思いになるのだと。
前向きに生きていれば、それを応援するような人や環境が向こうから自然と近づいてくるのかもしれない。あまりそういうのを当てにしすぎてもいけないのでしょうけど。
意志あるところに、道は開ける
Whre there is a will, there is a way.
その中で印象に残ったのは、武田双雲さんは、毎日の生活の中で、とにかく「感謝」を心がけているという話でした。
まあよく言われるありふれた話と言ってしまえばそれまでかもしれませんが、何かの道で一流になる人って、とにかくなんでも徹底してとことんやるみたいですね。
「感謝」するのも、とにかく全てに対して感謝する。だから、ネガティブな感情になることがほとんど無いし、なったとしても、そのことにも「感謝」できてしまえば怖いものなしですね。
最後に言ってたのが、そのような意識で生活していると、不思議と、感謝できるような人や、環境が向こうから寄ってくる、とのことでした。だから別に、無理してそう意識しなくても、自然に感謝ですという思いになるのだと。
前向きに生きていれば、それを応援するような人や環境が向こうから自然と近づいてくるのかもしれない。あまりそういうのを当てにしすぎてもいけないのでしょうけど。
意志あるところに、道は開ける
Whre there is a will, there is a way.
コロナ禍にて
コロナ禍の影響なのか、自殺者が増えているというニュースを最近よく耳にします。
幸いなことに、私は「死にたい」と思ったことはありません。
だから、そういう人たちの気持ちを理解することはできません。
でもふとこんなことを考えました。
人気のない夜更けに橋を歩いていて、橋の欄干を今にも乗り越えようとしている人がいたら、自分はどうするだろう?
やはり止めたい、と思います。それは、自分が生きていたいからだと思います。
まず、そこでその人と話がしたい。別にどんな話でもいい。天気の話だって、つまらないことだっていい。
死んでしまったら、そのつまらない話も永遠にできない。死ぬ前に、世間話くらいしたっていいじゃないですか。
そして、その話をきっかけに、やっぱりまだ生きていてもいいかな、と思ってほしい。生きていれば何かいいことがあるかもしれない。
その人がどんなに辛い心境なのか、私には理解することができないから、安易なことは言えないけど、生きていて、いつの日か、あの時、橋のところで変な奴と話したせいで思いとどまったけど、生きてて良かったな、と思ってほしい。
死にたいとまでは思わなかったけど、将来に希望もなく、別にどうなってもいいと考えていた時期もあったし、その後も転職ばかりのぱっとしない人生を歩んできた私ですが、今は、生きていて楽しい。まだまだ生きていたい。いろんなことがやりたい。そう思うからです。