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将来の夢

子供の頃、
「将来、こうなりたい」

という、夢や目標は特にありませんでした。

ただ、漠然とではありますが、強いて言えば、二つほどありました。

一つは、世界中の海を航海する船乗りっていいかも、と思っていました。テレビアニメや漫画ばかり読んでいたので、冒険とか、放浪の旅とかに憧れていました。

今思えば、つまらない現実から逃れたかっただけなのかもしれません。学生時代は、一人で、当てのない旅ばかりしていました。

もう一つは、小説家など、何かものを書く仕事をしたいなという気持ちもありました。小学生の時など、作文コンクールで入賞したり、新聞や雑誌などにちょっとした文章を投稿して、よく図書券などもらっていたりしたので、ちょっと自信があったのです。

中学生の頃は、太宰治の小説をよく読んでいました。太宰治は暗いのが多いのですが、走れメロスや、富岳百景など、何とか前向きに生きようとする、そんな内容のものが好きでした。

高校を卒業する頃、姉が買ってきた「ノルウェイの森」を徹夜で一気に読んでからは、村上春樹の本ばかり読んでいました。

二人の作家に共通するのは、とにかく読みやすく平坦な文章で書かれていることだと思います。

彼らのような、読みやすく、読み始めたら何となく最後まで読んでしまい、言葉にしづらいけど何か残っている、そんな文章を書きたいと思ったものでした。

ん?過去形にする必要は無いぞ!?

人生、百年の時代。人生、今日が始まりッ!

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いつもそこには音楽があった

仕事中、トラックを運転しながら最初の頃はラジオばかり聴いていたのですが、だんだんと飽きてしまい、最近ではスマホの音楽アプリでいろんな歌を聴いています。

特にジャンルなどこだわりは無く、若いころに流行っていた歌謡曲とか、よく聴いていた歌や、CMソングやドラマの主題歌など、とにかく聴いたことのある歌を片っ端から登録しておいて、運転中にずっと流し続けています。

音楽って、聴いているとその当時の背景や心境を思い出すものですね。

私も、いろんな歌を聴きながら、その時居た職場での思い出が蘇ったりしてきます。

辛かったり、苦しかったことも多かったですが、まあそれなりに楽しかったこととか、いろいろで、でも過ぎ去った今では「あんなこともあったな」と、今ではすべて懐かしく振り返ることができます。

深夜の高速道路を、ハンドルを握りながらそんな思いにふけったりしている、今日この頃です。

お、運転に集中せねば!

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おしごと しょうかい 2

ずっと以前になりますが、「富山の置き薬」の仕事をしていました。

大手では、富士薬品などが有名ですね。一般の家庭や、会社などに薬の入った薬箱を置いてもらい、その後、定期的に訪問し、使った分だけの代金を頂き、新たに必要な薬を補充していくというものです。

扱っていた薬は、富山の製薬会社のものだけではなかったのですが、昔は「富山の薬売り」が有名で、お年寄りの方などは「よく来てたよ、紙風船をもらうのが楽しみでね、懐かしいね」とおっしゃいます。



それで、また、失敗談なのですが、その仕事で、ある日訪問したお宅での出来事です。

使った分のお金を頂き、薬を補充し、最後に確認のサインを頂くのですが、そのお客さんは馬場さんという方でした。

馬場さんは、サインの欄にカタカナで「ババ」と書きました。

字が少々、雑だったので、その字が何となく「トド」に見え、私は何気なく

「あれ?トドですか?」

と、言ってしまいました。

悪いことに、そのお客さんはちょっとぽっちゃりした若い奥さんでした。



そのことがきっかけになったのかは分かりませんが、その後まもなくそのお客さんは解約となりました。

女性に対して「トド」と言うことが失礼だとかその頃は分からなかったのです。人の気持ちが理解できないと、生きるのに苦労します。

改めて、よく営業なんてやってたなと我ながら感心します。

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たまには良い話も・・

これまでの転職履歴の中で、2社ほど、上場企業にて勤務していたことがありました。


とは言え、私のような悲惨な履歴を辿って来た者が、そんな大手の会社に入れるって、おかしいですよね?


もちろんそれには裏があるというか、その2社の内の1社は、工場勤務だったのですが、派遣されて行っていたのです。勤務するのはその工場でも、身分は、派遣会社の社員なのです。


その大手の会社は人件費を削減するために派遣を使っているので、給料は安く、仕事はきついです。私が所属していた部署もきつかったですが、人が足りなくてたまに手伝いに行ったことがある部署は更にハードで、まるで奴隷のようだとさえ感じたものです。


リーマンショックのせいか、残業がほとんど無くなってからは昼夜交替勤務だというのにびっくりするほど給料が安くなってしまい、転職しました。


もう1社は、営業として入った会社なのですが、たまたま私が在籍していた短い期間に大証に上場したのです。


その頃の私は営業成績が出せず悩んでいたので、会社が上場するとか全く興味が無く、自分のことで精一杯でした。


自社株なんかにも興味は無かったのですが、上司が、「自分の会社の株を買わないというのはどういうことだ。自分の会社を信用していないのか」みたいなことを言うので仕方なく最低限買ったのですが、その後私が会社を辞める時には半分にまで値下がりしていました。


何か、たまには良かった話も書きたいのですが、記憶が無いんですよね・・。

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サイドビジネス

以前、何かの占いの本で、自分の生年月日だか名前の画数だかで調べてみたら、仕事運のところに

「必ず副業をする」

と書いてありました。

必ずかよ、と笑ってしまったのですが、実際、いろいろと副業はやりました。

その中の一つに、副業と言えるかは分かりませんが、FXをやっていました。

証拠金取引、為替取引というやつですね。円を売ってドルを買う、とかそういった感じです。

アフィリエイトサイトを経由して申し込みをすることで、キャンペーンで数千円とかもらえるので、そういうのを利用してやっていました。2、3年はまっていましたが、結果的には損して終わったかなって感じです。

利益が出たからって喜んで決済すると、もっとどんどん値上がりして、ああまだ売らなきゃよかったと思って次にそうすると、今度はどんどん値下がりしてきて、でも待っておけばそのうちまた値上がりするだろうと思って待っていると、さらに値下がりして耐え切れずに売って、するとその途端また上がり始めたりとか、そんなんばかりでした。

こういうので稼げる人って、すごいですね。
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新聞配達

子どもの頃、小学校の高学年~高校1年の途中まで、新聞配達をやっていました。

家が貧乏だったので、お小遣い欲しさに軽いノリで始めたのですが、今振り返っても結構辛かったですね。

一度始めてしまえば、毎朝毎朝、早起きしなければなりません。お休みは、月に一度の新聞休刊日くらいしかありません。

特に冬の朝は嫌でした。暖かい布団から抜け出し、暗い中、自転車で身の切れるような寒さの中、配達するのですが、指先が冷たくてどうしようもありませんでした。当時もすでに使い捨てカイロはあったと思うのですが、値段もそんなに安くなかったし、買うだけの余裕はありませんでした。今はだいぶ手ごろな値段になり、しかも温度が高めのやつもあるんですね。アチチ、ってなるくらいの。あの頃これがあったらな、と本当に思います。

また、雨の日も嫌でした。新聞が濡れないようにするのが大変で、でも大雨の日なんかはどうしても濡れてしまい、ビチョビチョの新聞を配ってたりしました。読めるわけが無いですよね。今は、薄いビニールできれいにパウチできるみたいで、あの頃これがあったらなと、本当に思います。

日曜の朝も、家族がまだぐっすりと寝ている中、一人起きて出かけるのは嫌なものでした。

しかも、そのように毎朝早起きして、一時間半くらいかけて配達して、一か月の給料は3~4千円くらだったと思います。一日、百数十円ですね。

辞めたくて、販売店の人に何度か言ったのですが、代わりの人がいないからと言われずるずると続けていたのです。最後はブチ切れて、どなって辞めました。


辞めてから35年くらい経ちますが、たまに、夢を見てうなされます。先日も、見ました。

「あれ?そういえば最近、配達してないな?すっかり忘れてた・・!でも何も言われないしな・・?第一、配る家もよく覚えてないし・・。どうなってるんだ・・」


何か、割に合わないですよね・・。
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おしごと しょうかい

これまであまり「居心地の良い職場」に居たことが無いのですが、一時期、家にも居づらかったことがありました。
そんな時、たまたま見つけたのが「レンタカー回送」の仕事です。

レンタカーを借りたお客さんが、その借りたお店ではなく違う場所で乗り捨てた場合、その車を元のお店に戻さなければならないのですが、その仕事です。

完全歩合制だし、時間で割れば報酬も安い傾向だし、もしぶつけたりしたら自己負担も大きいし、ハイリスクローリターンなお仕事かもしれません。

私がその仕事をやろうと思ったきっかけは、生活費が少し足りなかったので、本職の休みの日に副業でやるにはいいと思ったのと、何よりいろんなところに行けそうだったので、放浪好きのじぶんにとって面白そうだなと感じたからです。

実際、始めてみて、面白い!と思いました。メールで指示が来るのですが、それまではどこに行くかも分からないし、移動手段も電車やバスや徒歩や、いろいろで、見知らぬ土地をさすらっている感じが良いのです。

それと、その仕事をしている間は、家に居なくて良いというのも大きかったかもしれません。家で結構、ストレスを感じていたからです。副業、仕事だからと、堂々と出かけられます。実際にその頃は、お正月もお盆も、休みはほぼ出ていたので、ローリターンとは言えなかなかの稼ぎになっていました。

ぶつけそうになったこととか、ヒヤリとしたことは数多くありましたが、運良く自腹を切るようなことはありませんでした。

でも本職にするにはやはり収入の面でキツそうだし、今は家での居心地も悪くないので、最近はほとんどやっていません。

普通に生活してたらまず行けないような場所にもいろいろ行けて、面白かったです。そのうちまた、やるつもりです。
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つづき

次の職場は、工場で制作物を作る仕事でした。事前に細かい仕事の内容までは分かりませんでしたが、自身、初めての技術職だし、これを身に着けてずっとここでやっていけたら、という思いでした。


でも、実際に入社してみると、職人のオッサンたちが真剣な眼差しで作業に取り組んでいる、という雰囲気ではなく、主に若い女性の方たちが軽作業に取り組んでいる、そんな感じでした。

でもとにかく、周りの人たちに教わったり、見よう見まねで覚えていこうと日々過ごしていました。


それからしばらく経ったある日、上役の方から配置転換の打診がありました。工場のほうは今のところ人は足りているのだが、データ制作のほうは慢性的に不足している。頑張り次第では今よりもっと稼ぐことができる、といった内容でした。

データ制作と言えば、パソコンを使う仕事です。ですが私のパソコンの知識と言えば、たまにインターネットをする程度の、ほぼド素人の領域でした。

その旨は伝えたのですが、何だか私はやればできそうな人に見えるらしく、そのうち覚えるから大丈夫だよ、とあっさり人事が決まりました。私としても、工場の軽作業は、一生の仕事にするにはちょっとどうかなという思いもあり、これを機にパソコンに詳しくなってしまえばこれからの時代きっと役に立つだろうという思惑も手助けしたのです。


そうして、新しい部署に移ったのですが、一言で言って、ただの役立たずでした。


その部署にいたのは、当然ながら、専門学校で関連の知識を身に着けた人や、そのような学校には行ってなくても、趣味でめちゃくちゃ詳しく、仕事が出来る人とか、そんな人たちばかりです。みんなの会話では、私の聞いたことのない専門用語やオタク的な言葉が飛び交っていました。

そして、みんな自分の仕事で忙しく、私のようなど素人を一から面倒を見るような暇な人はいませんでした。たまに私のところにきて、練習用の課題を与えてくれたりしたので、ひたすら画面に向かってパソコンをいじったりしていましたが、何せ分からないことだらけで、毎日同じようなことばかりやって、仕事をしているようなふりをしていましたが、ほとんど進歩していませんでした。

できる仕事が無いので、たまに与えられる雑用を時間をかけてやるのが関の山でした。

数か月が過ぎ、それでも私は相変わらず仕事ができないままでした。もともとあまり何かにのめり込める性格でもないし、独学で知識を身に着けるほどどん欲になれませんでした。職場にいても何も言われないので、自分から求めていかないと成長できなかったのです。

そんな私の周りの社員たちは、仕事が忙しい中、いつまでも役に立たないど素人がそばで何もせずに給料だけもらっていることが面白くなかったに違いありません。

ある日、私に聞こえるようにだか、そのつもりは無かったのかは分かりませんが、こんな会話が聞こえてきました。

「なんで何もできない奴を入れるんだろう」

言われなくても日頃から痛いほど感じていた思いだったので、もういたたまれなくなり、恥ずかしい話ですが私は勤務中にも関わらず職場から逃げ出しました。

そして、車でしばらく走った後、たまたま行き着いた日帰り温泉でお湯に浸かっていたのです。




その後、会社に連絡し、辞職の旨を伝えました。月半ばだったので、翌日から月末までは出社し、最後はみんなの前であいさつもしました。恥ずかしかったですが、仕方ないですね。

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ミスマッチ

先日、以前での職場の出来事を長々と書いたのですが、その後、しばらくして落ち着いてみると、その職場での、私に対する会社側の対応もまあ仕方なかったのかな、なんて考えたりしました。
端的に言って、私は会社側の求める人材としては不十分だったのでしょう。



転職を何度かするうちに、営業でない仕事をしたい、と思って見つけたのがこの職場でした。お店での、接客業です。

接客業と言えば、来店したお客様に、いらっしゃいませ、と言って親切丁寧な応対をする、というようなイメージを持っていました。そういう仕事ならたぶん大丈夫だという思いがあったのです。

ですが思えばその会社での面接の時に、営業という言葉が確か使われていました。接客プラス営業職としての人材を求められていたのです。私の採用が決まったのも、営業に携わってきた履歴があったのも大きかったのでしょう。

面接の時にそのような話があったことは何となく覚えているのですが、その前の飛び込み営業の会社を一か月半で辞めたばかりで、あせりもあったし、自分の趣味に合った業種だったことなどから、あまり気にしなかったのです。

入社して、月日が経つにつれ、だんだんと化けの皮がはがれるというか、

「あれ?こいつはずっと営業をやってきた割には、そんな感じではないし、結果も出せないな・・」

そんなふうに見られていたんだと思います。

「ただの接客や事務仕事ならバイトにもできる」

というようなことを言われたこともありました。

まあでも実際そうだったのでしょう。営業として、既存の顧客に対してアプローチをかけ、より売り上げを出したり、新規の客と親しくなって、固定客にしたりとか、そのような働きを求められていたのです。

もちろん、それに応えるべく、やっていました。ですがもともとそのような行動は得意ではないし、それなりにやってはいましたが、やはり苦痛で、全然楽しくありませんでした。そういうのは相手にも伝わるようで、実績も大して出せませんでした。

むしろ、私の後に入った、営業経験の無い、若い社員の方が大活躍していたのです。

その頃ももう既にほっといてもどんどん客が来る、という時代ではありませんでしたから、余分な社員を雇う余裕も無いし、すると当然・・・という流れになるのは仕方ないことだったのかもしれません。


そんなわけで、その次はもっと人と接しない、人を相手にしない仕事がいいのかな、という流れになっていくのです。つづく
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自分の価値

今、勤めている会社が嫌だった場合、「この会社に一生勤めるのか・・」と考えると気が重くなってしまいますよね。

転職すればいいとは言え、さまざまな事情があるし、転職なんてそう簡単にはいかないというのが事実です。

なので、今の会社の不満、愚痴を言って紛らわすという方は多いと思います。

愚痴を言う相手も似たような考えの場合、話が盛り上がりますよね。



私も、ある会社にいたとき、ずっと気分が重たく、うつ気味だった時期があるのですが、

「もういいや。そのうち辞めよう」

と決めてからは、言ってたことがバレるのを覚悟で、同僚などに上司の不満をぶちまけるようになりました。

小さい会社だったので、私が話していた内容はおそらくすぐに上司に伝わっていたと思います。

でも、そうするようになってからは、精神的にかなり開放されたと思います。それまでは、その会社にずっと勤めるつもりだったし、あまり大っぴらに愚痴なんて言っていたら自分の評価も下がるだろうし(そうでなくても、とっくに評価はどん底だったと思うのですが)、せいぜい妻に聞いてもらうくらいにとどめていたのです。

妻もいい迷惑だったと思うのですが、「分かる、そうだよね」と愚痴をよく聞いてくれていました。

ただ、やはりその職場で同じような思いを感じている人に話すと、より共感を得られるというのはあるし、何より自分自身、

「もういいや」

という、あきらめがついて、それまでの重たい気持ちが少しずつ軽くなっていったように思います。そうでもしなければ、今でも引きずっているトラウマのような気持ちの重さが、もっとひどくなっていただろうなという気がします。



辞める、辞めると言いながら、なかなか辞めないという人も中にはいると思います。「辞める」と言うことで、気持ちが軽くなり、それでとりあえず済んでしまうからでしょう。だけど、そんな気のない周りの同僚などからすると、あまり言い続けているとうんざりされてしまうかもしれません。



ある日、私は上司に退職の旨を伝えました。次の職場は、面接を終え、内定までもらっていたのですが、まだどうなるか分からない、とりあえず退職の意向を会社に伝えて、その反応次第でまた連絡します、と伝えていました。

マニュアル等に、退職願を出す前にまず上司にその意向を伝えるのが筋だみたいなことがかいてあったので、そうしたのです。

その後の状況としては、うろ覚えではありますが、その上司は少し沈黙した後、「ちょっと待ってて」と、どこかへ行きました。さらにその上司に話に行ったのでしょうか。

そしてすぐに戻ってきて、「それで、いつ辞めるんだ」と聞かれました。引き留めなど、一切ありません。


今考えると、当然のことなのかもしれないのですが、その時は、自分ではそれなりに長く勤めた会社だったし、急に人が足りなくなっても困るかもしれないから、一応、相談してから・・と思ったのですが、その必要は無かったようです。私がそろそろ辞めそうだということはしっかり伝わっていたのか、辞めた後の準備はもうできていて、具体的にその日時を知りたい、という反応だったと思います。別に今日でいなくなっても全然問題ない、という手ごたえを感じました。

その職場で、その程度の価値しか発揮できなかった自分のせいだから仕方ないのですが、お世辞でも

「いや、君がいなくなったら困る」

なんてひとことくらい言ってほしかったなと、あとで思いました。でも、それで、

「分かりました。やはり、もうしばらく頑張ってみます!」

と、気が変わられても困るだろうしな、とか、いろいろ思いました。

その会社では自分の存在価値は大して無い、というのは感じていましたが、やはりできることなら辞めたくなかったのかもしれません。



その後、転職した会社も長続きせず、文字通り、職を転々としました。


自分に問題があるのかもしれません。でも仕方ありません。自分なりに、精一杯やるしかありません。


ただ、そんな自分を卑下する必要は無いと思っています。こんな私ですが、今は、自分に自信があります。自分の歩んできた日々、選択してきた道を、間違いなんかではなかった、よく頑張ってきたとほめてあげたいです。


周りにどう思われようと、何を言われようと、自分のことを信じられる自分であれば、それでいいと思います。




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