今朝見た夢
眠りが浅いと必ずと言っていいくらい夢を見ます。
でも内容はそのうち忘れてしまいます。
今朝見た夢はまだ覚えています・・。
私は仕事で何かを配達していました。子供の頃、新聞配達をやっていたことがあり、その記憶が残っていたのだと思います。
ところが急に、その仕事の契約が切れると言われ、私は以前いた営業の会社にお願いして、また戻ることになりました。
でもその何かを配達しながら、
「やっぱりダメだ、営業は嫌で辞めたんじゃないか、また悩む日々に戻ることになる」
と、営業の会社は断って、何とか今の仕事を続けられないものかと考えていました。
営業をやっていた頃は、実績が出なくてよく悩んでいましたからね。とりあえず、夢で良かったです。
オンとオフ
仕事で忙しい時なんかは否が応でもスイッチをオンにせざるを得なくなります。精神的に戦闘状態になり、気が張り詰め、お腹も全然空きません。
それで仕事が終わって家に帰った途端、気が緩んでお腹が空いてきます。食べたら眠気が襲います。完全にオフの状態です。
オンとオフの切り替えって大事だなと思います。オンがあるからオフがある。オフがあるからオンがある。
オフの時に思い切り力を抜くことができてこそ、オンの時に備えることが出来るんだと思います。
なので、休めるときには躊躇無くおもいっきり休む。満タンに充電する。
そんなわけで、キツい時はキツいけど、休みはしっかり取れる、そんな仕事、会社が良いのかなと、ふと感じました。
特に好きでもない仕事を、充分な休みもなくずーっと仕事を続けられる、人間ってそんな強い生き物ではないように思うのです。
一つのことに
少し前まで、通信で占いを勉強していました。興味があったし、詳しくなってこれでサイドビジネスができたらなという思いもありました。
一年以上は続けたのですが、辞めてしまいました。辞めさせられたと言ったほうが正しいです。
その先生は個人でやっているのですが、占いだけで生活している方です。なので、その占いに対する姿勢は半端ではありません。
私の、学びたいという熱意が感じられない。そんな人にこれ以上教えたくない、ということでした。
私としては細々とでも続けたかったのですが、教えたくないと言われてしまえば仕方ありません。
何か一つのことに命を懸けている人から見れば、そうでない人は理解できないようです。私は、何か一つのことに命を懸けたことはこれまで無かったのかもしれません。
夢
眠りが浅い時など、たまに夢を見るのですが、何故か怖い夢が多いです。誰かに追いかけられて、必死で逃げている、そんな感じの。
社会人になり、数十年、いくつもの会社を転々とし、その間いろんな経験をし、いろんな思いを重ね生きてきたのですが、でも不思議と会社や仕事に関する夢は見ないですね。引っ越しも何度かしましたが、見る夢のほとんどは、生まれ育った故郷が舞台の、何か追いかけられて逃げている、そんなものが多いです。
目が覚めて、ああ夢だったかと、ほっとしたりするのですが、いつまでこんな夢を見続けるんだろうなと少しうんざりした気持ちにもなります。
日頃から前向きに、ポジティブに生きようと思っているのですが、自分の中に隠れたネガティブな意識がそうやって夢に出てくるんだろうなと思います。
でもまあ、目が覚めたら終わってるんだし、仕方ないか。起きたら、現実の世界で今日も頑張ります。いつの日か楽しい夢を見ることができるようになりたいですね。
春夏秋冬
転職を繰り返す中で、良い時期もあればあまり良くない時期もあると思います。
景気のいい悪いも大きいですが、その人自身が持っている運気の流れのようなものの影響もあるのではないかという気がしています。
仕事に限らず、何をやっても上手くいく時期と、そうでない時期とがあったりします。
私は、もともと仕事運はあまり良くないみたいで、「この会社にいた時はすごく良かった!」
というのがあまり記憶にありません。
でもまあ今は、今までの中では一番、落ち着いています。海で言えば「凪」のような状態でしょうか。
「春の来ない冬は無い」とか、
「冬の寒さが厳しいほど春の暖かさを感じる」
などと言いますが、厳しい冬の寒さだけで終わってしまってはいけない。ちゃんと、暖かい春を迎え、存分に味わないといけない。
あなたは、今、どの季節にいますか?
なーんてね
どうにか、なる
今の職場に落ち着いて数年になりますが、今もなお、「これから忙しくなるな」という時は気が重くなります。
「今日も大変そうだな~」「どうやって仕事をこなそうか・・」
慣れてきたとは言え、やっぱり大変なときは大変です。
仕事に限らず、生きていればこのような局面は絶えず訪れてきます。
でもこんな時に、「でもまあ、どうにかなるさ」と思えるようになりたいです。そう思うようにしているつもりなのですが、なかなかできません。「大変だ、大変だ」と一人で焦って、慌てて、そういう状態だと何かミスするものです。そして余計に時間と手間がかかり・・の悪循環です。
大変そうな状況を目の前にすると、絶望的な気持ちになったりするのですが、何やかんやありながらも終わってみれば、どうにか、何とかなっているものです。そして、過ぎてみれば、その時は大変だったかもしれないけど、まあ、何とかなったから、今日まで生きて来られたのです。
どうせこの先も、「大変な」状況は訪れるだろうし、でもきっと、どうせ何とかなるのだから、そんな時でもでーんと構えて居られるような、そういう人に、私は、なりたい。今からでも。
やっぱり日曜日は休みたい
いろいろと転職を重ねる中で、日曜日が休みの仕事と、そうでない仕事がありました。
日曜日はお店や観光地など混みますし、やはり日曜日がお休みという方が多いようです。
我が家でも、妻も働いていますが日曜は休みですし、子どももそうです。
私は友達がほぼいないので、平日休みの仕事の時はほぼ一人で過ごしていました。
その頃はそんなに気にしていませんでしたが、日曜日が休みの今と比べると、やはり今のほうがいいなと思います。
サービス業など日曜日が忙しい方はそんなわけにはいかないと思いますが、平日はどこに行っても比較的空いていてのんびりできますし、そのほうがいいという方も結構いらっしゃると思います。
それに、日曜日に働いてくれている方がいるからこそ、日曜休みの人たちが楽しく過ごせるわけですものね。
日曜勤務の方々に感謝して、今は、日曜日をのんびり過ごさせていただきたいと思います。
日曜日はお店や観光地など混みますし、やはり日曜日がお休みという方が多いようです。
我が家でも、妻も働いていますが日曜は休みですし、子どももそうです。
私は友達がほぼいないので、平日休みの仕事の時はほぼ一人で過ごしていました。
その頃はそんなに気にしていませんでしたが、日曜日が休みの今と比べると、やはり今のほうがいいなと思います。
サービス業など日曜日が忙しい方はそんなわけにはいかないと思いますが、平日はどこに行っても比較的空いていてのんびりできますし、そのほうがいいという方も結構いらっしゃると思います。
それに、日曜日に働いてくれている方がいるからこそ、日曜休みの人たちが楽しく過ごせるわけですものね。
日曜勤務の方々に感謝して、今は、日曜日をのんびり過ごさせていただきたいと思います。
言葉の重み
同じことを言ったとしても、何か大きな成功をした人と、そうでない人とでは言葉の重みに違いがでてきますね。
私はと言えば、若い頃から転職ばかりしてきただけの人生で、成功も何もあったものではありません。生きていくだけで精一杯でした。
どこの馬の骨だか分からない、しかも何か大きなことを成し遂げたとかいうわけでもない、そんな私がいくら偉そうなことをここで書いていたとしても、右から左に受け流されてしまって当然だと思います。
この先も、特に何か大きなビジョンがあるわけでもなく、鳴かず飛ばずで一生を終えてしまう可能性は十分にあります。
それでも、こんなブログをたまにですが続けている理由としては、こんな自分でも、まだ将来に希望をもっているからです。何の当てもありませんが、自分にしかできない、何かができるかもしれない。気持ちだけは、前向きです。
かなり昔に聞いた講演会での、講師の印象に残っている大好きな言葉があります。
「人生、今日が始まり」
宣伝かよ 宣伝だよ
今のところ、今の会社で落ち着いているので、何か副業をやりたいと考えています。
このブログの下に広告を張り付けているのですが、そのテレワークみたいな仕事にチャレンジしようかと思い、申し込んでみました。
ちょっとやってみて、嫌になったら頑張らずにすぐ辞めようと思っています。
人生いろいろ
高校の時は、毎年、留年すれすれで、気が乗らないと学校を休み、部活もすぐ辞め、友達もほぼいない状態でした。
自分が具体的にどのように生きていけば良いのか分からず、高校も中退しようとしたのですが、引き留められとりあえず卒業はしたのですが、その後フリーターのような生活でした。自分の未来に何の希望も見いだすことはできませんでした。
今で言う、ほぼ「終わっていた」状態だったと思います。
まあそれから何やかんやありながら今日まで生きてきたのですが、何せスタートがそんな感じだったものだから、正直、自分が生きるだけで精一杯だった、と言っても言い過ぎではないかもしれません。
多くの人に、迷惑をかけて生きてきたと思います。それと同時に、多くの人に助けられ、励まされて生きてきました。一人ではとてもここまで来ることはできなかったと思います。特に何か成功したというわけでは無いのですが、妻と子供がいて、定職に就いていて、食べるものがおいしいと感じられる。
「自分はどう生きるべきか」については未だに答えは出ていませんが、それが分からないとしても、生きていれば楽しいこともあるし、妻や子供たちが楽しそうにしていれば別にそれだけで満足だったりするものですね。いや、これは、私の場合はというだけの話です。