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とある橋のたもとにて

その時僕は、とある橋のたもとにいた。山口県岩国市、錦帯橋という歴史のある橋の周辺は観光地として栄えている。

観光には特に興味はなかったのだが、一人旅の寂しさなのか、人で賑わっているところへついつい引き寄せられてしまう。そして余計に孤独を感じたりする。


「自転車の旅かい。いいねえ」

おじさんが話しかけてきた。

「旅費とかは、どうしてるんだい?」



その自転車は、当時、ブリヂストンから発売されたばかりの、サイクリング車でありながら、ワンタッチで折りたたんで電車などでも運べる「グランテック」という車種だった。高校生で、家も貧しかったので、自転車屋のおじいさんにお願いして月々1万円の月賦にしてもらった。

その前の年、高校1年の夏は、「青春18きっぷ」を使って全国を放浪していたのだが、駅から自転車に乗れたらなと思っているところにそんな自転車が売られていたものだから、買う一択しかない。



「途中でアルバイトとかしながら・・はい」

旅の途中でアルバイトなんかしたことも無いくせに、僕はそう答えていた。

「良かったら、うちで働いて行かないか」



そのおじさんは、そこのすぐそばにある旅館のご主人だった。半月庵という、宇野千代の「おはん」という小説の舞台ともなった、こちらも由緒ある旅館だった。早速、次の日からそこでしばらく働かせてもらうこととなった。


そこではたくさんの仲居さんたちが働いていた。その中に混じって、僕は空き室の片づけ、布団の上げ下ろし、配膳、食器の片づけなど見よう見まねでやった。やることが無くなると、犬の散歩を頼まれたりした。家では猫しか飼ったことがなく、思った方向に犬が進んでくれないので苦労した。

あっという間に一週間ほど過ぎた。特にそんな必要も無かったのだが、とりあえず、また旅を再開することにし、ご主人にその旨を伝えた。出発することになったその前の夜、仕事が終わった後に一週間分のお給料を頂いた。それと一緒に、新品の運動靴ももらった。僕のそれまでの人生で、全く縁の無い、ナイキの高そうなスニーカーだった。その時僕が履いていたのは、底の薄っぺらい、安物の貧弱なデッキシューズだったのだ。


靴と、お給料を手にした僕は部屋へと戻った。この部屋も、空いていた一室をあてがってくれたのだ。賄いもなかなか豪華だった。この一週間、まさしく衣食住をお世話になったということになる。

お金の入った袋を開け、明細を見た。これだけお世話になったんだ。金額など、期待していない。



でも次の瞬間、僕は凍り付いていた。

いや、・・これは、いくらなんでも、安すぎる・・。

騙された、それが正直な思いだった。旅の途中で、ではないがアルバイトはやったことがあるから、期待しないとは言え大体の相場のイメージというものがある。

その夜まで泊まらせてもらい、次の朝、出発の予定だったのだが、僕はその場ですぐに荷物をまとめ、

「失礼します」

とだけ言って、その旅館を後にした。



暗がりの中、しばらく自転車を走らせ、ほとぼりが冷めたあたりの街灯の下で自転車を停めた。とりあえず、封筒のお金を財布に入れておこうと思ったのだ。


「あれ?」

封筒の中には、思いもよらないほどのお金が入っていた。先ほどの相場の話で言えば、はるかに多い金額だ。何のことはない、そそっかしい僕は、明細を見て勝手に勘違いして、ショックを受け飛び出してきてしまったのだ。

その場ですぐに踵を返し、僕は旅館へと戻った。厨房にはまだおかみさんと仲居さんたちが数人、残って休んでいた。

「あの、明細を見て少ないと思って勘違いして、・・あの、すみませんでした」

それだけ言うと、再び僕はそこを逃げるように飛び出した。しばらく経った後、せっかくもらったあのナイキのスニーカーを忘れてきてしまったことに気付いたが、もう戻る気にはなれなかった。




ご主人とおかみさんには、息子さんがいた。ご主人と出会ったその夜、たまたま彼にも出会った。ちょっと話すと、高校二年、同級生だと分かった。僕は彼に、誕生日を聞いてみた。彼が答えたその日は、僕の誕生日でもあった。

彼にそのことを言ったが、冗談だと思ったのか、それとも高校二年の夏休みに部活も受験勉強もせずこんなところで働こうとしている得体の知れない同級生にそれ以上、関心が無かったのか、話はそれ以上弾まなかった。

彼はがっちりとした体格をしていて、堂々としていた。もう忘れてしまったが、何かの運動部に入っていると言ってたように思う。




あれから30年以上の年月が流れ、僕は半月庵を今一度訪れたいと思いながら、まだその願いは叶っていない。単純に、今住んでいるところから遠すぎるのと、それだけの経済的余裕がずっと無かったからだ。

もしいつか行ける日が来たら、その時にはぜひ、あの時のお礼と、そしてお詫びをしたい。

あと、息子さんにも会いたい。彼は旅館の跡を継いだのだろうか。僕は彼に、もう一度確認したいのだ。

差し支えなければ、生年月日、お聞きしてもよろしいでしょうか、と。

きんたいきょう.jpg






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