サイドビジネス
以前、何かの占いの本で、自分の生年月日だか名前の画数だかで調べてみたら、仕事運のところに
「必ず副業をする」
と書いてありました。
必ずかよ、と笑ってしまったのですが、実際、いろいろと副業はやりました。
その中の一つに、副業と言えるかは分かりませんが、FXをやっていました。
証拠金取引、為替取引というやつですね。円を売ってドルを買う、とかそういった感じです。
アフィリエイトサイトを経由して申し込みをすることで、キャンペーンで数千円とかもらえるので、そういうのを利用してやっていました。2、3年はまっていましたが、結果的には損して終わったかなって感じです。
利益が出たからって喜んで決済すると、もっとどんどん値上がりして、ああまだ売らなきゃよかったと思って次にそうすると、今度はどんどん値下がりしてきて、でも待っておけばそのうちまた値上がりするだろうと思って待っていると、さらに値下がりして耐え切れずに売って、するとその途端また上がり始めたりとか、そんなんばかりでした。
こういうので稼げる人って、すごいですね。
「必ず副業をする」
と書いてありました。
必ずかよ、と笑ってしまったのですが、実際、いろいろと副業はやりました。
その中の一つに、副業と言えるかは分かりませんが、FXをやっていました。
証拠金取引、為替取引というやつですね。円を売ってドルを買う、とかそういった感じです。
アフィリエイトサイトを経由して申し込みをすることで、キャンペーンで数千円とかもらえるので、そういうのを利用してやっていました。2、3年はまっていましたが、結果的には損して終わったかなって感じです。
利益が出たからって喜んで決済すると、もっとどんどん値上がりして、ああまだ売らなきゃよかったと思って次にそうすると、今度はどんどん値下がりしてきて、でも待っておけばそのうちまた値上がりするだろうと思って待っていると、さらに値下がりして耐え切れずに売って、するとその途端また上がり始めたりとか、そんなんばかりでした。
こういうので稼げる人って、すごいですね。
新聞配達
子どもの頃、小学校の高学年~高校1年の途中まで、新聞配達をやっていました。
家が貧乏だったので、お小遣い欲しさに軽いノリで始めたのですが、今振り返っても結構辛かったですね。
一度始めてしまえば、毎朝毎朝、早起きしなければなりません。お休みは、月に一度の新聞休刊日くらいしかありません。
特に冬の朝は嫌でした。暖かい布団から抜け出し、暗い中、自転車で身の切れるような寒さの中、配達するのですが、指先が冷たくてどうしようもありませんでした。当時もすでに使い捨てカイロはあったと思うのですが、値段もそんなに安くなかったし、買うだけの余裕はありませんでした。今はだいぶ手ごろな値段になり、しかも温度が高めのやつもあるんですね。アチチ、ってなるくらいの。あの頃これがあったらな、と本当に思います。
また、雨の日も嫌でした。新聞が濡れないようにするのが大変で、でも大雨の日なんかはどうしても濡れてしまい、ビチョビチョの新聞を配ってたりしました。読めるわけが無いですよね。今は、薄いビニールできれいにパウチできるみたいで、あの頃これがあったらなと、本当に思います。
日曜の朝も、家族がまだぐっすりと寝ている中、一人起きて出かけるのは嫌なものでした。
しかも、そのように毎朝早起きして、一時間半くらいかけて配達して、一か月の給料は3~4千円くらだったと思います。一日、百数十円ですね。
辞めたくて、販売店の人に何度か言ったのですが、代わりの人がいないからと言われずるずると続けていたのです。最後はブチ切れて、どなって辞めました。
辞めてから35年くらい経ちますが、たまに、夢を見てうなされます。先日も、見ました。
「あれ?そういえば最近、配達してないな?すっかり忘れてた・・!でも何も言われないしな・・?第一、配る家もよく覚えてないし・・。どうなってるんだ・・」
何か、割に合わないですよね・・。
家が貧乏だったので、お小遣い欲しさに軽いノリで始めたのですが、今振り返っても結構辛かったですね。
一度始めてしまえば、毎朝毎朝、早起きしなければなりません。お休みは、月に一度の新聞休刊日くらいしかありません。
特に冬の朝は嫌でした。暖かい布団から抜け出し、暗い中、自転車で身の切れるような寒さの中、配達するのですが、指先が冷たくてどうしようもありませんでした。当時もすでに使い捨てカイロはあったと思うのですが、値段もそんなに安くなかったし、買うだけの余裕はありませんでした。今はだいぶ手ごろな値段になり、しかも温度が高めのやつもあるんですね。アチチ、ってなるくらいの。あの頃これがあったらな、と本当に思います。
また、雨の日も嫌でした。新聞が濡れないようにするのが大変で、でも大雨の日なんかはどうしても濡れてしまい、ビチョビチョの新聞を配ってたりしました。読めるわけが無いですよね。今は、薄いビニールできれいにパウチできるみたいで、あの頃これがあったらなと、本当に思います。
日曜の朝も、家族がまだぐっすりと寝ている中、一人起きて出かけるのは嫌なものでした。
しかも、そのように毎朝早起きして、一時間半くらいかけて配達して、一か月の給料は3~4千円くらだったと思います。一日、百数十円ですね。
辞めたくて、販売店の人に何度か言ったのですが、代わりの人がいないからと言われずるずると続けていたのです。最後はブチ切れて、どなって辞めました。
辞めてから35年くらい経ちますが、たまに、夢を見てうなされます。先日も、見ました。
「あれ?そういえば最近、配達してないな?すっかり忘れてた・・!でも何も言われないしな・・?第一、配る家もよく覚えてないし・・。どうなってるんだ・・」
何か、割に合わないですよね・・。