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静かな、静かなとある水曜日の午後

とても静かです。


住んでいるところが田舎なので、もともと静かなのですが、今日は、何ていうか、心が落ち着いています。


以前、小川洋子さんの「博士の愛した数式」という小説を読んだことがあるのですが、80分しか記憶が続かない初老の天才数学者の「博士」が、難解な数式を解いたときに

「ああ、なんて静かなんだ」

と、つぶやくシーンがありました。

実際の静けさというのではなく、数式が解けた満足感からくる心の平穏のようなものでしょうか。



ふと、そんなことを思い出しました。




最近、仕事が落ち着いてから、結構真剣に悩んでいました。

自分はこれから何を目指して、どう生きていくべきなのだろう?ただこうやって毎日会社に勤めて、生活費を稼ぎ、借金を返し、皿洗いや草取りなんかしながら過ぎていく日々で、本当にそれでいいのだろうか?



悩んでいたからというのもありますが、このブログも更新する気にもなれませんでした。誰が読んでいるかいないかも分からない、書いても意味があるのか?たまたま読んだ人はどう思うのか?自分にとっても、他の誰にとっても何の意味も無いんじゃないか・・。


でもこうやって今、ブログを綴っているということは、心境の変化があったということだと思います。


書くと長くなりそうだし、どう書いたらいいかもよく分からないのですが、冒頭に書いたように、心が落ち着いています。


なぜそのような心境になっているのか、一言で言えば、今の自分でいいんだ、と、自分自身を肯定できるようになったからではないかと思います。


いつまでもつかむことのできない、何か遠くにある幸せをいつまでも追い続ける、そんな必要はもう無い。

今の環境の中で、家族や職場の人、ご近所さんたちとの日々を大切に過ごしていければそれでいい。

そんな中で、もしやりたいことが見つかったなら、その時はそうすればいいのであって、別に焦って悩んでやりたいことを探す必要なんかない。


そう思えるのは、私自身の育った家庭が、物心がついた頃から会話も笑いもなく、いつも誰かと誰かがけんかしているような身も心も落ち着くことのできないものだったからです。

いつも、ここではないどこか遠くにある幸せのようなものを渇望していたように思います。



生きていく上で最低限のものがあればいい。もちろん、お金とかたくさんあるにこしたことはないけど、そんなもの以上に、なんてことない日常の会話があり、時折笑いがあり、お互いがお互いに関心を持って生きているそんな家庭や、環境があれば、それで充分だ、と。

そんな中で、こんな自分にでも、周りの人たちのためにできることはたくさんある。



とある水曜日の午後。なんて静かなんだろう。

いらすとや.jpg


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