自由に生きてく方法なんて・・
仕事とか家事とか、生きていく上でやらなければならないことってどうしてもあるのですが、浜田省吾さんの歌詞のように「自由に生きてく方法なんて100通りだってある」のです。
私は自由に生きすぎて、後で苦労したような面もあるのですが、後悔はしていません。今、振り返ってみても、その時はそうするしかなかったんじゃないか、と思うからです。人って、端からどう見えるかはともかく、その人なりに一番ベストだと思える選択をして生きていると思います。
ですが、自由になりたいからと、勢いで会社を辞めたり、家を飛び出したりしても、必ず「その後」が付きまといます。一時的な感情で行動しても、後で苦労するだけです。
後のことや、廻りの人のことをよく考えた上で、それでも「いや、これで行くんだ」と思えるときは、動くときだと思います。
自由に生きてく方法なんて、100通りだってあるさ。生きていれば。
好きなことから始めよう
やりたいこと、好きなことって、あれこれ考える前にもうやり始めてますよね。
大好物の焼肉を目の前にして、「なぜ私はこの焼肉を食べようとしているのだろう?生きるため?では何のために生きるのか?人生とは何なのか?」
などと考える前に、理屈ではなく「食べたいから食べる」というだけのことです。
何か好きなことをひたすらやっているうちに、そのことに関しては誰も真似できないほど詳しくなっていたり、上手くなっていたりすれば、その道のプロ、「先生」な訳ですから、それがそのまま仕事になって生活できている人もいると思います。
そんな生き方に憧れています。
私は、文章を書いて、自分の考え、感じたこと、思ったことなどを表現するのが好きなので、このブログも続いているんだと思います。
そのことが飯のタネになるかならないかは、その次の問題であって、やりたくないことであれば、ただの仕事になってしまい、楽しくありません。
自分に問題が
何だかんだと偉そうに好きなことを書いていますが、これだけ転職が多いのも、やはり自分に問題があるのだとは思います。他の人たちは、そんなにしょっちゅう転職していないようです。皆が皆、転職ばかりしていたら転職市場が盛んになって仕方ありません。
原因の一つとして、やはり人間関係が不得手であることは大きいと思います。
私の育った家庭は、両親の仲が悪く、いつも父が酒に酔い怒鳴り散らして時には暴れたりしていました。父と母が普通に会話している姿も記憶にありません。そして父は私が小学生の時に交通事故で亡くなりました。
残されたのは私たち子供と、母と、同居していたおばあちゃん(父のお母さん)です。
その後は、母とおばあちゃんがしょっちゅうケンカするようになりました。嫁姑の争いというやつです。
自然と、「一人でいる方が気楽でいいや」と考えるようになりました。誰かと一緒にいても楽しくないし、一緒にいる意味が分からない。
これでは基本的な人間関係なんて築くことはできません。
いい年こいて、今さら育った環境のせいにしていても仕方ないのかもしれませんが・・。